3月11日の「ふうえば」

東日本大震災から7年目。

いろいろな想いをこめて祈りました。

個人的には、また東北に旅に行きたいとも思っています。

さて、今日のふうえば。午前中は指導に忙しく過ごしました。

だれか、もっと大学生なりのボランティアが欲しいところです。

教える手が足りないときがあります。

午後の英語時事。

今日は北朝鮮に関するニュース映像の聞き取りをウォーミングアップにしたあと、

イスラエル・パレスチナとフェイスブックの関わりに関する記事を複数よみ、ディスカッション。

いつも思うのですが、この英語時事の時間は、「公共の議論の場」として、とても貴重な場になっているなと思います。

誰でも参加できる。

お互いの意見をしっかり聴く。

その結果、自分の考えで足りなかったことに気づき、自分の考えを微修正する。

今日の1時間半の英語時事のなかでも、わたくし(理事長・鈴木)自身、新しい発見があり、

始まる前と終わった後では、自分の考えが確実に深化・進化しました。

そして、この「公共の議論の場」は、

10代から50代まで、幅広い年齢層が参加しており、これも、

あるようでいて、無い場だと思います。

ふうえばの存在意義。

ふうえばの社会的責任、公共性。

改めて自覚します。

本日は結局、フェイスブックの公共性に関する議論に収れん。

はじめは個人的な想いや、仲間たちと始めた私的なものであっても、

人や社会との係わりのなかで、公的な責任が生じていきます。

フェイスブックも然り。

はじめはザッカーバーグや仲間たちとのお遊び感覚からスタートしたものであったかもしれないが、

今や超巨大組織であり、20億人ちかくが利用し、きわめて高い公共性を帯びている。

フェイスブックのようなSNSの執行部は、ますます難しい舵取りを迫られているような気がします。

そのあり方に我々ユーザーが疑問を感じたときは、我々から発信し、賛同者を増やし、働きかけ、彼らに改善を求めていくことも必要と思います。

ITがらみの諸問題、これからも話題にのぼり続けることと思います。